あなたオリジナルのハッピーロードを歩まれている皆様、こんにちは!
幸田先生のホームページの中のハッピー・クリエーターのページに、<鏡を「親切」で磨く>とあります。
以下、抜粋です。
親切とは“心身になって大切に思う”ということ。
ハッピー・クリエーターとしての才能を開花させる最善の方法は「親切」の実践です。
あなたが出会う人や周りの存在(家族・友人・職場の方々)に親切をするということは、あなたを映す鏡を磨くということでもあります。
逆に言えば、人間関係で上手くいっていない人、コミュニケーションが苦手な人ほど、鏡が汚れているということです。
鏡が汚れていたら姿が見えなかったり、自分が醜く移ります。
そんな時こそ「親切」が鏡である人間関係を磨き、自分の本当の姿を取り戻すことができるのです。
こうして磨けば磨くほど、あなた自身が輝いて見えてきます。
まずできることからはじめてみて下さい。
今まで気づかなかった“幸せのカタチ"がきっと光を取り戻してくる筈です。
先週のブログ『時間を命として扱う』の中で、私は幼い頃、父の友人家族にカレーライスをご馳走になるも、知らない人の前で美味しそうにガツガツ食べることができなかった…美味しそうに食べるという自己表現を見られたくなかった、と書きました。
当時は幼い私でしたからわかりませんでしたが、美味しそうに食べることそのものが、「親切」だということを、今の私なら理解できます。
幸田先生から、「
他人を肯定できなければ、他人に共感できない。」と言われます。
今私は、その言葉を深く心に刻んでおります。
そんな昨今、テレビでは『龍馬伝』が好きで観ていますが、坂本龍馬は実に共感力のある人だったんだなーと学ぶところがあります。
『龍馬伝』に、蒼井優演じる「お元」という芸子が登場します。
この大河ドラマの中で、お元は芸子であり、さらに幕府側の隠密でありながら、実は隠れキリシタンという設定になっています。
お元ではありませんが、隠れキリシタンであるということが発覚した女性が、奉行所に連れていかれるシーンがあります。
それを龍馬は目撃しました。
龍馬は、その頃薩摩と長州を結びつけるために、薩摩側の金でグラバーから軍艦と銃を大量に買おうと、グラバーに話を持ちかけるのですが、グラバーはそんな不信な取引に応じません。
龍馬は悩みました。
龍馬は、薩摩と長州を結びつけるためだということを話せません。幕府側に洩れたら大変です。
龍馬は考え続けました。
大事なことを隠しているということは、どうしても見破られてしまう…と。
自分のやり方も、さっき捕まった隠れキリシタンも…。
そこで龍馬は決断します。グラバーに自分の志のすべてを話そう、と。
そしてグラバーに話すと、グラバーはその龍馬の発想に驚くも、感動して取引に応じてくれました。
当時の龍馬や隠れキリシタンに比べれば、今の時代に「肯定」して「共感」するなんて難しいことではないんだ、と勇気をもらいました。
そして最近、ある知人との会話の中で、知人は「中心からズレてると、共感されない。」ということを、言っていました。
これも、私にとって大いなるヒントになりました。
私流の解釈では、龍馬伝に例えるならば、時代の波に押しつぶされず、しっかり自分の足で立ち、自分自身を生きよう、ととらえました。
龍馬伝と知人に感謝し、共感力を磨くことに気合いが入りました。
私が決意して生きることにより、かつての隠れキリシタンも癒やされるのではないだろうか…そんな想像もしました。
まずは実践あるのみ、です。
私の共感力、磨きます。